梵鐘・銅像製作の歴史・沿革のご紹介。
梵鐘。当社の梵鐘師としての歴史は、第2次世界大戦後の昭和22年から始まります。
―創業者 岩澤宗徹 誕生そして起業へ―
大正9年、京都市北西部高雄の山里に岩澤の梵鐘株式会社創業者、岩澤信男(のち宗徹と改名)は誕生しました。
15才で父を亡くし、死に目に会えなかったため、父の墓前で必ず将来立派な人間になりますと誓ったという。
以降、日に日に人生の無常さを感じた宗徹氏は仏道に入ろうと志し、東山の青蓮院門跡にある尊勝院の僧侶の付き人として修行を積み、そこで法名「徹誠」を授かりました。やがて梵鐘師としての号となる名前です。
その後、京都向日町の井上電機に入社し鋳物部門に従事しその中で京都釜座の鋳物師の古老と出会い鋳匠の技を学びました。
昭和16年、太平洋戦争が勃発し宗徹も徴兵されるが生まれながらにして病弱であったため、自宅待機を命じられるなか数多くの友達が前線に送り出されて戦死をしていったのにやりきれなさを感じていた宗徹は「お国のため」という想いから昭和19年、岩澤鋳工有限会社を設立し、井上電機の下請工場として、軍艦の電柱板などの軍需部品を鋳造していました。
折しも昭和17年に金属回収令が発せられ、鍋・やかんなどのありとあらゆる金属部品が供出され、軍需製品として作り変えられていった時代でした。
梵鐘などの寺院仏具もその例外でなく、慶長年間以前の制作の鐘などの文化財である鐘を除き、全国各地の寺院から姿を消していきました。
現在の岩澤の梵鐘株式会社創業者 岩澤信男(のちの宗徹)誕生
金属回収令が発せられ、兵器製造のため鍋・やかんなどの金属製品、梵鐘などの仏具が供出される
岩澤鋳工有限会社創業。当初は軍需製品、終戦直後は鍋や窯などを製造
スリランカ共和国・仏歯寺の梵鐘製作
仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院
Sri Dalada Maligawa
京都知恩院門前 殉職女教師の象製作
京都三条京阪 高山彦九郎像製作(皇居望拝之像)
四国八十八ヶ所 霊場第二番 極楽寺梵鐘製作
東京八王子 「夕やけ」の鐘製作
京都 紫雲山六角堂頂法寺 親鸞聖人銅像制作
国宝 妙心寺の梵鐘 復元製作
インド ブッダガヤ日本寺の梵鐘製作(松下幸之助氏寄贈)
中国北京 広済寺 長久友愛の梵鐘製作
沖縄開教区 大谷光照前門主様ご寄贈の梵鐘制作(沖縄県返還とともに)
熊本県 蓮華院誕生寺 世界一の大梵鐘製作
口径9尺5寸、高さ15尺、重量1万貫
インド祇園精舎の梵鐘制作
長崎水害全犠牲者慰霊の梵鐘制作
四国八十八ヶ所霊場 第八十八番結願所 大窪寺
十五尺の弘法大師銅像製作